気まぐれ日記 08年5月

08年4月はここ

5月1日(木)「予約なしで病院へ・・・の風さん」
 術後の回復が思わしくないので、今日、思い切って病院へ出かけた。
 会社はGWの真っ只中だが、病院はカレンダー通りにやっている。
 10時半に着いて、予約なしだったので診察の手続きをすると、主治医以外の先生へ回されて、時間帯は12時から12時半の間となった。検査用の検尿をコップに取った。2週間前と変わらず混濁している。待ち時間に読むための文庫を持参していたが、体調不良と疲労感で読む気が起きない。うつらうつらしながら、途中でお茶を飲みに立っただけである。
 順番が回ってきたのは午後1時近かった。症状を説明すると、医師は納得して、新たな抗生剤などを処方してくれた。会計や薬の順番が回ってくる前に昼食を摂った。
 せっかく近くまで来たので、市内の図書館へ寄ると、勤務先のOBが学習室で勉強していた。熱心な姿に胸を打たれた。
 帰りに郵便局に寄って、振込みを3件済ませた。まだ1件残っているが、高額なので、休み明けにするつもりだ。GW中は、いくらか現金を持っていなければ心配だ。
 夜、気になっていた海外の知人へ著書を郵送する準備をした。
 そして、今日の最後の仕事は、お手伝いをしている自費出版のゲラの最後の校正である。これも明日出版社へ郵送しなければならない。
 就寝は午前1時をだいぶ回ってしまった。

5月2日(金)「国際郵便の発送・・・の風さん」
 今日は朝から低気圧の中に入っている。机の横の気圧計は1009hPaを指している。窓の外を眺めると小雨がぱらついている。天候と体調がシンクロしている気分だ。
 体調が悪くてもやらねばならないことはたくさんある。
 昨夜用意した、国際郵便(小型包装物)2通とゆうパックを持って、地元の郵便局へ出かけた。
 国際郵便は宛名シールがあるかと思ったがなくて、結局、包装物の表に書くことになった。それらに手こずって、かなりの時間がとられた。スペインと北米へ安価なSAL便で送ったので、合計1800円ほどだった。東京へ送るゆうパックが800円で、国際郵便の安さが印象に残った。
 これで、残された郵便関係は、あと3通ほどになった。どうしても返事を出さなければならないのだが、術後の思わしくない体調の中で、なかなかこなすことができないでいる。
 帰宅してから昼食を摂り、ワイフと墓参のために菩提寺へ出かけた。ときおり小雨の降る墓地には、参拝者の姿は皆無だった。明日から福島の母を訪ねるので、その報告をした。
 そろそろ学会発表の準備を始めなければならないのだが、早くもエネルギー切れを感じだした。もともと体力が低下してきているところへ、手術後、おとなしくしているために、ちっとも体力が戻らないのだ。体力が不足していると、頭脳労働もおっくうになる。
 夕方から、「大衆文芸」の随筆の下書きに着手し、その後、会社のメールチェックをした。

5月3日(土)「心のふるさと秋田・・・の風さん」
 相変わらず仕事がたまっているが仕方ない。焦ってもどうしようもない。とにかく体調が戻るまでは、無理はできない。
 多忙でずっとできなかった福島の母を訪ねた。高齢の母に郡山駅まで送迎してもらうのはよくないので、近所まで行けるバスの時刻表に合わせて出発あるいは帰宅することになる。インターネットが普及して、ここ愛知県知多半島に住む私の書斎で、福島交通バスの時刻表がチェックできるのはありがたい。昼食を食べてからの出発になった。自宅から母の家まで、片道6時間もかかる。
 向こうで余裕があったら片付けようと、色々なやりかけの雑務をキャリーバッグに詰めたが、はたしてうまく行くかは自信はまるでない。自宅の最寄の駅に着いてから、大事な忘れ物に気付いた。つい先日病院へ行ってもらったばかりの抗生薬である。ガックリした。
 東北新幹線に乗ると、故郷へ帰るような気分になるから不思議だ。故郷と言っても福島のことではない。少年時代を過ごした秋田である。東北新幹線では、グリーン車でなくても、座席の背もたれの後ろに雑誌が2冊入っている。表紙の絵が私の目を吸い寄せた。見たことのある建物の絵だった。秋田県小坂町にある芝居小屋「康楽館」である。かつて親友が小坂町で働いている時、私は家族を連れて秋田旅行に出かけた。空路青森へ降りて、そこでレンタカーを借りて秋田入りしたのである。親友は、わざわざ「康楽館」に弁当を用意させて、小屋の中で昼食を摂らせてくれた。……。
 雑誌には昔銀や銅がとれて小坂町が賑やかだった頃の遺産が残っていることが書いてある。
 そうそう。巻頭言は内館牧子さんだった。高校の先輩ではないが、秋田出身の人である。今も東北大学相撲部の監督をしているのではないかな。文学部に社会人入学されたから、大学では私の方が先輩か(笑)。
 自宅へ着いてすぐ、母を連れて晩御飯を食べに出かけた。カーポートのセリカの運転席のドアを開けようとしたら、大きな蜘蛛が巣を張っていて剣呑だったので、助手席側から乗って、運転席に座った。 母はだいぶ痩せてしまっているので、せめて私がいる間だけでも、しっかり食べてもらわねば……。レストランの近くにガソリンスタンドがあったので、セルフ給油をした。再び高くなったガソリンは157円/Lだった。母は最近はほとんど運転をしていないようだった。
 帰宅後、耳の遠い母と筆談をした。たとえ聞こえても、とんちんかんなことばかり言い出す母なので、この筆談は記録が残ってなかなかいい。今夜は、ほとんど私の身体と手術のことだけで、何度も会話を続けた。

5月4日(日)「筆談筆談筆談・・・の風さん」
 完全に体調が戻っていたら、会津若松市へ行きたかった。幕末の会津を舞台に短編を書きたくて、前から取材の機会を狙っていた。しかし、今の私には無理だった。疲労感が抜け切らないまま寝坊して階下へ行ったら兄が来ていた。大きな声で話している。私は昨夜の筆談の記録紙を見せて、兄にも筆談を勧めた。
 遅い朝食を摂り、兄が帰った後、自分の部屋で論文読みを始めたが、どうにも身体がだるくて、読み進めない。これではいけない、とまた階下へ行ったら、母が一人でワイフの土産のみつ豆を食べていた。私も狙っていたので、一緒に食べた。その後、二つある亀の水槽を洗ってやった。苔で緑色になった水がいくらか澄んだ。
 夕方から母を連れて買い物に出かけた。最近はあまり遠出はできていないだろうと、郊外にある大型スーパーへ行った。明日の朝食のサラダと、ガスレンジのアルミカバー、それからトイレのリモコンの電池などを買った。
 それから早目の夕食を摂りに、なじみのレストランへ行った。美味しい料理を食べさせようと、奮発を覚悟で連れてきたのに、また母がわけの分からないことを言い出したので、テーブルの上のアンケート用紙の裏を使って筆談してしまった。
 そして、近所の温泉に入ってから、ようやく帰宅した。
 筆談が終わっていったんお開きにしたのに、論文読みをしている私のところへやってきて、またまた議論になってしまった。年をとると誰でもガンコになるのだろうが、私は気を付けたい。

5月5日(月)「轟悠か「黎明の風」か・・・の風さん」
 勤務先の連休の最終日である。今日は全国的に雲行きが怪しい。空も妙だが、昨夜大量に水分を摂ったせいか、やたらとトイレに行き、また尿の中にかさぶた状の異物が混じるようになっていた。
 ガンコな母のせいで、午前中のバスで帰宅することになってしまった。私を郡山駅まで送ると言ってきかないのだ。駅までは私が運転することもできる。しかし、新幹線に乗った後、母は自分で運転して帰らなければならない。そんな危険で心配なことはさせたくなかった。しかし、母にはこの気持ちが通じなかった。さまざまなことで責任ある立場にいる息子のことを理解させるのは難しい。私も高齢になり、そのとき子供たちがちゃんと自立していたら、子供らに迷惑をかけないように生きたい。
 バス停で母に見送られて帰宅の途についた。
 郡山駅に着いてすぐ新幹線に飛び乗った。大型連休中だが、自由席に座れた。
 予定より5時間も早い新幹線に乗ってしまったので、ちょっと困った。実は、東京宝塚劇場でついこの間観たばかりの「黎明の風」を観にやってくるワイフと一緒に新幹線に乗って帰る作戦だったのだ。宙組トップの大和悠河と専科の轟悠が共演する「黎明の風」のチケットを、ワイフはひょんなことから知人から譲り受けたのである。
 私自身、体調はイマイチだし、国会図書館も休館なので、どうやって長時間を過ごすか頭を悩ませていたのだ。一番やりたいことは論文読みだった。学会発表が1週間後に迫っていた。
 私はそのまま品川駅まで向かい、名古屋からやって来るワイフを出迎えることにした。ワイフが一人で東京宝塚劇場にたどりつけるか不安があるので、送っていくことにしたのだ。ときおりのんきなメールを送ってくるワイフにこっちの下心は分からないように返信しながら、入場券を買って新幹線改札口を入り、ワイフの乗った列車が着くのをホームで待った。
 ものの見事にワイフを驚かすことができた。
 山手線に乗り換えて有楽町駅で降りて、徒歩で東京宝塚劇場へ向かった。
 場所はすぐに分かった。
 一緒に帰るまで「映画でも観ているよ」と言う私に、ワイフは「体調も悪いんだし、やることがたくさんあるんでしょ? あとは一人で大丈夫だから、先に帰ってちょうだい」と強く勧めてきた。しかし、それではせっかく品川駅でうまく合流できたことが、何となく意味がなくなってしまうような気がした。
 当日券があったら買おうとワイフの制止を振り払って窓口へ近付くと、大勢の女性が並んでいる。立見席を希望している人たちで(きっと何度も観に来ているのだろう)、最後の指定席1枚が売れないために、立見席の販売が始まらないのだという。
 最後の指定席の番号を見たら、ワイフの席と近かった。うまくすれば、席を替わってもらって並んで観られるかもしれないと思った。何を隠そう、私はこの間から轟悠さんのファンになってしまった……じゃなくって、「黎明の風」なら何度でも観たいと思っていたのだ(笑)。
 私がその最後のチケットを買ったら、後ろに並んでいる女性たちから歓声が上がった。その大きな声のせいで、ワイフの私を制止する声はかき消されてしまった。
 結局、席は替わってもらえなかったが、再び「黎明の風」を堪能できた。
 帰りの新幹線では、ワイフに弁当を買ってもらって、ちょっぴり旅行気分も味わえた。

5月6日(火)「不安に満ちた仕事始め・・・の風さん」
 世の中はまだGWで、交通機関は帰省のピークを迎えているが、勤務先は今日から仕事が始まった。
 初日なので、早めに起きて、ミッシェルで出発した。
 季節はどんどん過ぎ去って、そろそろツツジの咲く頃だ。田園風景の中が通勤路で、これから亀が道路を横断して何匹もクルマにひかれるシーズンだ。亀の言い分は分からないが、どうしても横断する理由が何かあるのだろう。しかし、命がけである。
 連休中に完全復活できなかった私にとっても、会社生活は命がけである(笑)。もらった抗生剤のお陰で少しずつ少しずつ楽になっているが、尿漏れパッドははずせない。これが会社生活のネックになっている。
 朝から、全く余裕のない会社生活だった。しかし、何とかこなすことができたので、よし、としよう。
 自宅では今度の週末の学会発表の準備をしているが、ちっともはかどらない。体力がないと気力も続かないのだ。

5月11日(日)「春季大会を無事に終えた・・・の風さん」
 昨日から日本経営工学会の春季大会が始まっている。しかし、準備のできていない私は、自分の発表にギリギリ間に合うようにスケジュール調整をし、準備の時間を確保した。
 それで、昨日も朝から発表の準備に専念した。
 今回、初めて使用する理論式があって、その計算を実行するのはもちろんのこと、それ以前の発表といかに整合性をとるかが悩みの種だった。
 結局、昨夜遅く、ようやくヒラメキがあって、エクセルベース程度ではあったが、理論計算に取り組み始めたのも、それからだった。
 発表資料ができたのは今朝の4時である。それからシャワーを浴びて、2時間仮眠して、私は最寄の駅から電車に飛び乗った。
 新幹線の車中では、ひたすら印刷した発表スライドとにらめっこしながら、発表練習をした。これは、昨年の秋季大会で時間オーバーしたため、座長から発表を止められたという苦い経験があったからだ。
 会場である調布市の電通大に到着したのは正午前だった。
 昼休みにおにぎりをかじりながらパソコンを立ち上げ、最後の練習に取り組んだ。
 私の発表は午後一番の1時からだった。
 練習した成果が出て、発表は15分でぴたりと終えることができた。質問が3件出たが、意地悪な内容ではなく、ちゃんと答えることができた。
 自分の発表が終わってホッとした私は、その後、最終の発表まで聴講して、帰宅の途についた。
 最寄の駅に着いたら、ワイフでなく、長女がミッシェルで駅まで迎えに来てくれていた。名古屋から帰省していた長女である。運転を教えてやる時間が最近はほとんどないが、まだ勘は鈍っていないようだった。
 ほとんどとんぼ返りの学会発表だった。
 今回の発表を元にして論文の準備をしなければならない。その論文を英訳したものが秋の国際学会での発表になる。まだまだ楽にはなれない。

5月12日(月)「現金よりも元気・・・の風さん」
 私の職場初の全体朝礼というのを開催した。
 昼夜2直で稼動する現場を持っているので、なかなか全員を集める機会がない。せめて月の最初の月曜日だけでも、ということで、今朝の定時から集まってもらったのだが、それでも夜勤の人たちは欠席である。しかし、100人近い人を集めてみると、なかなかの迫力がある。今日はほとんど趣旨説明に終わった。
 その全体朝礼を皮切りに、今日は終日会議の連続だった。その合間に本社への出張もあった。
 今日は、営業部門の知り合いの重役の席に寄ったら在席していたので、『和算小説のたのしみ』をプレゼントした。この重役からは元気を頂戴しているので、現金(代金)はもらわない。
 
5月13日(火)「不思議な会社はもったいない・・・の風さん」
 朝から本社へ直行した。8時から役員報告があったのだ。
 午前中、本社にいる間に、非常にお世話になったというかご指導を賜ったM顧問がみえたので、『和算小説のたのしみ』を進呈した。M顧問は、『和算小説のたのしみ』が天下の岩波書店からの出版物であることに驚くと共に大変喜んでくださり、「あんたもそろそろ本物だな。あと少し頑張って著書が10冊を超えれば独立できるぞ」と励ましてくださった。会社のトップが部下に独立を奨励しているようで、不思議な会社だと世間は思うだろうが、事実なのだから仕方ない。羨ましいと思う方も多いだろうがごめんなさい。
 製作所へ帰ってまた会議が続いた。
 今日は私の職場にまた期間従業員が一度に8名も配属になった。日本の将来を支える若い人たちばかりだ。

5月14日(水)「ゼンは急げ・・・の風さん」
 東京へ出張した。
 体調不良はだいぶ軽減してきたが、まだまだ出張には不安がある。
 これまでの私なら、早朝から出発して上京し、国会図書館でちょっと調べ物をしてから現地へ直行し、すべりこみセーフで仕事を始めていたものだ……が、今はそんなことはできない。
 とんぼ返りで、できるだけ体力を消耗させないように、決して無理はしないのだ。
 目的の仕事でもあまり粘り腰は発揮しなかった。
 帰宅して、最後の仕上げをした「大衆文芸」向けのエッセイを、電子メールに添付して送付した。
 今回の前立腺肥大手術の顛末を、多少滑稽に書いた。
 タイトルは「ゼンは急げ」である。

5月15日(木)「有休になっても作家業は高密度・・・の風さん」
 執刀医による診察を受けるため、有休にした。
 そもそも診察の時間帯がほとんど昼休みと重なっていて、午前か午後のどちらかが本社だったら半日有休で済んだのだろうが、結局、そうは問屋が卸さず、終日有休となった。
 排尿時の痛みがほとんどなくなって、尿そのものの濁りもなくなってきたので、抗生剤を中止することになった。次の診察は1ヵ月後である。
 総合病院へ行って帰ってきた時間以外は、17日のトークセッションの準備に当てた。まだまだ準備が終わらない。どこまでも時間をかけてしまうのが、私の悪い癖だ。
 明日のトークセッションには知り合いがたくさん来てくれる。その中から、今回は咸臨丸子孫の会と幕末史研究会関係者を中心にして、トーク後に一席もうけることにした。昨年は、両会に大変にお世話になっている。ネットで見つけたジュンク堂池袋本店近くの居酒屋へ電話して、とりあえず6人分の席を予約した。
 それで安心したわけではないが、夜、就寝前にワイフとカクテル(ソルティドッグ)を飲んだ。実に1ヵ月半ぶりの飲酒である……たぶん。

5月17日(土)「3回目のトークセッションは欲張り過ぎか・・・の風さん」
 出発ギリギリまでトークセッションの準備をしていたので、最後は怒涛の勢いで荷物をかばんに詰め、いつものように「着ていくものがなーい!」と喚いて、結局いつもの格好に変身して出発だった。
 名古屋駅で手土産を買った。これはジュンク堂池袋本店でいつもお世話してくれる人たちのためである。やたらと気を遣う風さんのように見えるかもしれない。しかし、本当に申し訳なく思っているのだ。そもそもビジネスとしては成り立っていない。そんな私に協力してくれる人たちには感謝の気持ちでいっぱいである。しかし、なかなかお礼をする機会がないので、3回目のトークセッションの今日やっとそれができるのだ。
 池袋駅に着いて、先ず、ホテルにチェックインした。天気がやや不安定で、傘をどうするかで悩んだが、そのままジュンク堂へ直行した。たまにぽつりぽつりと落ちてくるが気にしない。
 6時過ぎに喫茶室へ着いて、手土産を渡して、早速準備に入った。パソコンとプロジェクターのセットである。プレゼンの七つ道具をすべて持参している。慣れた作業である。その間に知り合いが一人また一人と来てくれた。
 時間的には余裕しゃくしゃくだったが、体力の残量の読みを誤った。
 トークを始めてから時間がたてどもたてども、調子が上がらないのだ。
 トークの終わりでゲストの作家、植松三十里さんを紹介した。植松さんは話し慣れているので、実に手際よく自己紹介、自作の紹介をしていく。
 トーク後、本の即売とサイン会となったが、私の本よりも植松さんの本の方がよく売れた(笑)。
 本来トークセッションというのは、本の販売促進のためにやっているのだ。
 今回の結果で、私は永久罷免となり、新たに植松さんがトークセッションの舞台に登場することになろう。プロの世界は実力がモノを言う。手土産も本が売れて初めてその効果を発揮する。
 9時過ぎから6人で居酒屋の席を囲んだ。昨夜電話で頼んだコース料理は、質、量ともに水準を超えていた。特にまぐろの頭(兜煮か)は、目の下あたりに美味な肉がたっぷりついていて、これはなかなかいけた。私はもっぱら冷酒で料理を楽しんだ。
 約2時間、食べきれない料理と飲み放題で、お客様がたは満足していただけたのではないだろうか。
 駅へ向かう4人と交差点で別れ、私たちは徒歩でホテルへ向かったが、歩いても歩いてもくちくなった腹はへこまなかった(笑)。

5月18日(日)「膀胱もしびれるディズニーシー・・・の風さん」
 早起きしてホテルをチェックアウトし、池袋駅から有楽町線で「新木場」へ、そこで京葉線に乗り換えて「舞浜」へ。そう。私たちはまた1年ぶりにディズニーシーへやってきたのだ。しかも、今夜は奮発して、ホテルミラコスタ泊である。
 体力には大いに不安がある私なので、とにかく栄養だけはしっかり摂りながら、ディズニーシーをエンジョイする覚悟である。一方のワイフは、怖い乗り物に乗るのだと意気込んでいる。私はまっぴらごめんである。
 今回の狙いは怖いものだけではない。これまであまり見ていないショーをしっかり観ることにしている。
 それでも入門直後にしたことは、タワーオブテラーのファストパス入手だった。早くも重くなった足を引きずりながら、ワイフに引っ張られるようにしてファストパスのマシンへ。
 午後2時半ごろとなった。プリントされた時刻が、私には宣せられた死刑執行時刻のように見える。
 再び門の近くへ取って返して、最初のショーを観た。ミッキーをはじめ、あらゆるキャラクターが、とてもぬいぐるみに見えないのが不思議だ。ワイフはよく言う。「ミッキーの中にはミッキーが入っているとしか思えない」確かにそうである。
 今朝は朝食も食べずにここへやってきたので、さすがに空腹になっていた。
 朝食を食べてから、少しショッピングをして、ぶらぶら歩いて行くうちに、怖い乗り物の近くに来てしまった。レイジングスピリッツ。待ち時間が30分という恐るべき短さだった。拉致されるというのは、こういう状況を言うのであろう。いつしか私は行列のしんがりにいた。
 容赦なく列は進んで行く。その左脇を、轟音を立ててジェットコースターが走り抜け、向こう側で物理学の常識をあざ笑うかのようなゆっくりさで一回転して見せる。やめてくれ! 私は心の中で絶叫していた。
 やがて、下腹が痛くなってきた。膀胱のあたりだ。暴行を受けたような感じだ(寒ーい)。
 「おなかが痛い」
 私の訴えに、さすがのワイフも青くなった。
 とうとう搭乗寸前で私は係りの女性にリタイアを告げた。
 出口で待つこと15分。ニコニコ顔のワイフが出てきた。
 「私ひとりじゃ死なないからね」
 私の下腹がまた痛くなった。
 結局、タワーオブテラーもワイフが一人で乗った。さすがのワイフもフリーフォールは苦手らしく、怖かった〜を連発した(だから止めろ、と言ったのに)。
 ファストパスは1枚が無駄になった。ところが、待ち時間が今はなんと20分になっている!
 「もういっぺん乗ろう? 今度は一緒に」
 「やめてちょんまげ(古いギャグ)」
 二つのショーを観て、昼食をビール付きで摂り、電車に乗って「ビッグバンドビート」を観に行った。二人で観るのは2回目だが、昨年長女とも観た私にとっては3回目である。何度でも観たい。
 ミッキーのダンスそしてドラム、撥さばきは圧巻だった。
 今日の最大のイベントは「マゼランズ」でのディナーである。事前に予約してあったくらいだ。
 今夜は珍しい光景を目撃した。書棚の向こうの隠し部屋で食事会が催されていたのである。以前、テレビで渡辺徹が紹介してくれた特別室は本当にあるのだ。
 責任者らしい女性が近くに来たので、そのことを話したら、限定したお客様にだけ案内をさせていただいて、申し込みが多いときは抽選になります、とのことだった。興味を示したら、登録しますか、と言ってくれたので、住所と名前を書いた。
 「ずいぶんと遠くからいらっしゃったのですね」
 「ディズニーリゾートと一緒で、私たちも25周年です」 
 「それはおめでとうございます」
 ぼくらのデジカメで写真を撮ってくれた。
 最後のデザートが少し遅れた。
 フルボトルのスパークリングワインを二人でほとんど空けていたので、待ち時間は気にならなかった。
 やがて運ばれてきたデザート皿には、チョコレートで「25TH HAPPY ANNIVERSARY」と書かれていた。彼女がわざわざ厨房に指示してくれたのに違いない。
 夕食後、最も空いている時間帯に、怖いものの一つ「センターオブジアース」に乗りに行った。さすがの私も酔った勢いで、ずんずん乗り場へ行ってしまった。
 通算3回目のこの乗り物を無難にこなした後、妙な自信が湧いてきた。
 「もう1回乗ろう」 
 ワイフの誘いにのってしまった。
 通算4回目も平気だった。膀胱も悲鳴を上げることはなかった。
 続いて、私のお気に入りの一つ、「インディージョーンズ」に乗った。これも楽勝。わっはっは。
 行きがけの駄賃にストームライダーを楽しんで、その後乗った「アクアトピア」には目が回ってしまった。気持ちが悪くなり、吐きそうになってしまった。やっぱり悪酔いしたのかも。
 ついに閉門の10時が目前に迫ってきた。
 依然として目が回ったままの私は、もう何もする気がなくて、ホテルへ直行することを提案した。
 鍵はウェルカムセンターでもらっていたので、部屋へ直行した。
 もう立っていられないほどだった。そのままベッドにダウン……。

5月19日(月)「へとへとで帰宅すれば雨・・・の風さん」
 寝坊もして、たっぷり寝たはずなのに、身体が重い(当たり前だ。病人が遊び過ぎ)。
 昨日はあまり買い物もできなかったので、ホテルのショップで土産物を買った。また、荷物が増えた。これが疲労に追い討ちをかけるんだよなあ。
 ホテルで食事するのをやめてモノレールで舞浜駅へ。
 イクスピアリでブランチにした。昨日までの余波で、白ワインを飲んだ。
 東京駅の構内で、また買い物をしてしまった。「ごまたまごプリン」。もうこれでおしまいだからね。私は今日は何も買っていない(笑)。
 エクスプレス会員のポイントがたまっていたので、グリーン車で名古屋へ。
 車中は爆睡。
 名古屋からは名鉄に乗り継いだが、だんだん空模様が怪しくなってきた。
 こういうときに限って天気予報が当たる。
 途中からしっかり雨になった。
 最寄の駅で降りると、私はひとりで自宅へ。車で戻ってワイフと大量の荷物を運ぶためだ。
 二日ぶりに帰ってきたのだが、子供らはまだ誰も帰っていない。
 玄関を開けるとシルバーとペコが出迎えてくれた。
 そろそろ夕方のおやつ(煮干を上げる習慣だ)の時間だった。
 
5月21日(水)「平穏な日常・・・の風さん」
 朝から本社直行。
 途中で、昨夜書いた手紙を投函した。2ヶ月前に届いた手紙への返信である。重たい内容の手紙だったので、返信を書くのに昨夜まで心の余裕は訪れなかった。
 製作所に戻って、血圧の経過観察。正常値だった。

5月22日(木) 「ツケはきちんと・・・の風さん」
 私の職場にはさまざまの出身の人がいる。もちろんプロパーの正社員がmajorityで、私もその一人だ。つまり純粋培養で他社を知らない世間の狭い人たちだと言える。
 話題はそういった人たちではなくて、常駐請負社員のことである。
 昨今の規制強化やCSRやらで、残業やセキュリティがとてもうるさい。その波が常駐請負社員との仕事の仕方にも及んできたのだ。規則によると、請負業者に対しては仕事をお願いして、その結果だけを受け取り、途中のプロセスについては依頼者は介入してはいけないのである。同じ時間と空間を共有して仕事をするのだから、彼らとの人間的な接触は当然発生するし、より良い成果を期待するなら、リアルタイムで必要な情報を与えたい。ところが、この情報提供行為が、直接の業務指示や指導・教育と受け取られると違反なのだという。より良い仕事にして人間的にも技術的にも成長したいと願っている担当者のマインドを阻害する法律だと私は思う。
 今日、私の職場は、その件に関して、監査部の指導を受けた。
 結果はあえてここには書かない。
 しかし、残業問題、セキュリティ問題と同様に、第三国の陰謀を感じる。
 ガソリン(原油のことだが)や色々な材料の価格が高騰しているが、それは急激な発展を遂げる第三国の消費の影響だということをマスコミは明らかにするべきだ。そして、同時に、その第三国の発展に関係して巨額のビジネスが生じていることも明らかにすべきだ。何でも得するなんていう虫のいい話はあるはずがない。どこかで良い思いをするなら、そのツケはきちんと払わなければならない。とは言え、そのうち投機家にはバブル崩壊が襲うだろう。先物買いで世界を混乱させた報いである。

5月23日(金) 「高層ビルの話がなぜか高齢者社会の話に・・・の風さん」
 出張で名古屋のルーセントタワーへ出かけた。名古屋駅の近くにある高層ビルの一つで、新幹線から眺めたことがあるが、実際に中に入ったのは初めてだった。2005年の万博後も愛知県は元気で(自動車産業の発展のお陰だろう)、名古屋駅周辺の再開発もまだ進行中である。もう数年もすれば、日本の中央に位置しながら田舎視されていた名古屋も見かけだけは高層ビルの林立で都会らしくなるだろう。
 仕事は、JMA中部地域事業部が主催する某研究部会で運営委員をやっているので、その会合出席である。ある意味異業種交流の場で、参加者にはとても勉強になるが、運営委員の私にとっても、社外に触れる貴重な時間だ。昨年から社会人入学して勉強をしているが、その勉強のためにも重要なフィールドである。実は、大野先生と出会ったのも、ここである。今日は、会合の途中で時間があったので、大野先生と打ち合わせもできた。これからしばらくは、学業に重心を置かねばならない。
 夜は立食式の懇親会もあって、ビールを飲んだ。もう体調を気にしてアルコールを控える必要はなくなった。しかし、プライベートの雑談となると、やはり私の手術と予後の話題になり、正直に話せば話すほど、皆の興味をかきたてるようだ。それもそのはず、スタッフの多くは高齢者の仲間だ。
 高齢者といえば、新聞に書いてあったような気がするが、今や、日本人の5人に1人は後期高齢者、4人に1人は65歳以上らしい(あるいはもうすぐその時代がやってくる)。世界に類を見ない高齢者社会となる日本は、苦手なことだが、世界に先駆けて高齢者社会の良いお手本を示さなければならない。
 
5月24日(土)「さあやるぞ、と思った数時間後に大トラブル・・・の風さん」
 会社以外の仕事は際限なく滞っている。何せ、一人でやっていることなので、遅れの原因はすべて自分にある。『和算小説のたのしみ』を出版するまでは、たくさんの仕事を抱え過ぎていたことが一番の理由だった。しかし、ここ2ヶ月ほどは、入院・手術を根源とする体力の問題である。
 今週もほとんどプライベートのことができなかったので、今日は決心して、今週できなかった3つの仕事に専念した。学業が中心である。いちおう昼過ぎまでに形が整ってきた(つまりアウトプットになってきた)ので、気持ちが少し楽になり、床屋へ行くことにした。明日は部下の結婚式が京都であるのだ。
 就職で愛知県に来て以来、ずっと同じ床屋を利用している(この頑固さというかこだわりは何だろう?)。住む所が変わってもその方針だから、床屋までミッシェルで片道1時間もかかる(バカと言われそうだな)……。
 帰宅してからとんでもないことが起きた。
 執筆マシン(パソコン)が起動しないのだ!
 出かける前に「スタンバイモード」にしようとしたら、画面が暗くなってファンが回っている状態になってしまったので、電源スイッチで強制終了をかけていた。
 帰宅して電源スイッチを入れると、ハードディスクが最初だけ動いて、ファンは回転し出すが、画面は真っ暗のままでロゴは全く出てこない。何度繰り返しても復帰しないのだ。初めての現象だった。
 リカバリディスクを挿入して起動しようとしても全く効果はなかった。
 自分なりの診断結果は、バックライトが切れたためにロゴを始めとする最初の起動画面が見えないために、ログインができないだけではないか、というものだった。いずれにしても修理に出さなければならない。しかし、そうなると2週間は執筆マシンが使えない。問題はデータである。運の悪いことに、今朝、学業の関係の最新データをアシュレイやUSBメモリから執筆マシンへ移してしまったばかりだった。シミュレーションデータがないと、実務が出来ない。
 暗澹たる気持ちで、明日の京都行きをギリギリの時間まで遅らせ、その前にサポートセンターへ電話することにした。……と言いながら、就寝前にフランスワインをワイフと飲んだ(なんだ意外とのんきじゃん)。

5月25日(日)「エキセントリックな1日・・・の風さん」
 執筆マシンを修理に出す準備をすっかり整えた状態で、サポートセンターへ電話することにした。受付は午前10時からである。時間をみはからって電話したら、一発でつながった!
 自動音声ガイドに従って操作して、オペレーターの女性につながった。
 症状を具体的かつ正確に伝えると、まったく予想していなかった指示を受けた。
 (何だろう?)
 言われるままに行動した。すべての接続機器やコード類を外して、……。続いて、電源コードとマウスだけを接続して、電源スイッチを入れたらすぐF2キーを何度も押して……。……。
 「おおっ! 画面にメッセージが……」
 バックライトが切れていたわけではなく、強制終了をしていことで発生したシステムの不具合で、それを元に戻す手順を踏んだら復帰したのである。
 声から推定して若そうな女性に、思わず頭を下げたくなった一瞬だった。
 (これからバックアップはしっかりとっておかなくちゃ)
 反省も同時にした。
 昼食も摂らずに出発した。
 今日は、学業に関係のある書籍を携えて、往復の道中で読むつもりだ。
 京都駅に着いてすぐキオスクへ寄った。読売新聞を買うためだ。色々な方面から連絡があり、今朝の読売に『和算小説のたのしみ』の書評が載っているという。小説でもない本に書評が出ること自体、未経験の私には不思議な気がしていた。
 購入して文化欄を開いたら、一番上に大きく出ていて先ず驚いた。レビューアーは、三浦しをんさんだった。私と接点のない有名な直木賞作家がなぜ? 
 読み進んで思わずにっこりしてしまった。本音で楽しそうに書いてくれている。和算とは縁のなかった人が初めて触れた和算の世界に感動してくれているのだ。和算小説の紹介についても、読んでみたくなる、と著者の罠にまんまとはまってくれていた。うれしい。
 新幹線構内の書店に駆け込んで、三浦しをんさんの本を探した。あった。『私が語りはじめた彼は』である。読んでみよう。
 結婚式で初めて見た部下の新妻は、まるで彼の妹のようによく似た女性だった。その後の披露宴を通じて、明るくよく笑う彼女の性格を好もしく思った。ポーカーフェースの部下とはまさに似合いのカップルだ。
 今日は、私の上司も出席してくれたので、私はスピーチという大任もなく、シャンペンのお代わりを飲みながら、出てくる料理を片っ端から平らげていた。
 帰りの新幹線もEX−ICで改札口を通り、あらゆる意味で満腹感をおぼえながら、車中でも学業に余念のない風さんだった。

5月26日(月)「どこまでも作家業はなくならない・・・の風さん」
 週明け早々忙しい1日だった。
 午前中は製作所で会議を続け(こうなると自分の雑務が全くこなせない)、昼食を食べてすぐ本社へ出張。できれば途中で読書ぐらいしたかったのだが、あちこちに寄って話をしているうちに午後の会議の時間になってしまった。
 それを終えてまた製作所へ戻った。
 定時後は職場の小グループでの懇談会に出て、やっと帰宅した。
 思いもかけない「ぺるそーな」が届いていた。また書評を書いてくれたのだ。鳴海風は多くの人たちの好意によって支えられている。頑張らねば。
 また、『和算小説のたのしみ』の増刷の知らせも、岩波書店から届いていた。
 岩波書店へ送るため、「ぺるそーな」を封筒に入れ、『和算小説のたのしみ』増刷時の修正項目を電子メールに添付して送った。

5月27日(火)「人物データベースに入れてもらえそう・・・の風さん」
 本当に体調が戻ってきた感じがする。身体が普通に動かせるのだ。しかし、運動をしているわけでもないのに、退社して帰宅すると疲労感は深い。身体が動くようになるのに比例して活動的になっているので、それに体力の回復が追いついていないのだ。
 今日は定時後に労使の懇談会があった。使用者側の代表者の一人として私も出席した。
 しかし、実を言うと、私はこの労使の懇談会というのが、大嫌いである。そもそも労使と分けることが嫌いなのだ。自分たちの生活を守りつつ世の中に貢献していくという高い志のもとでは、労も使も一緒じゃないか、労使じゃなくて我々は同志だと思うからだ。同志懇談会なら賛成。
 疲労もあって、後半は居眠りこいていた。
 帰宅したら、面白い郵便が来ていた。読売人物データベースからで、私の素性を記入して返信してくれというのだ。先日、読売新聞に書評が掲載されたので、私という珍しい人物にようやく気が付いたのだろう。 

5月28日(水)「卒業生を慰問・・・の風さん」
 今日は少し早めに退社して、帰り道に近い某関係会社へ行った。
 私の職場には期間従業員がたくさんいるのだが、契約期間は長くて3年までなのである。その3年間を最初に満期勤め上げたO君というのが、その某関係会社に正社員として採用されたのである。その某関係会社を勧めたのが私だったので、元気でやっているかどうか、また直接の上司にもよろしくとお願いしてきたかった。
 知り合いの重役にアポをとって行ったので、すぐに現場の課長を呼んでくれて、彼の働いているところへ案内してもらった。
 名前を呼んで声をかけたら、笑顔が返ってきて、「どうだい?」と聞くと「充実感のある仕事です」という答えが返ってきた。安心した。
 安全に気をつけて一所懸命に働くように言って、帰ってきた。
 3年間といえば、中学や高校が3年間である。若い頃の3年間はなかなかの長さである。うちの職場での3年間も若いO君にはそれなりに良い経験だったと思う。だから彼は卒業生と言ってもいい。そして、それを土台に、新天地での長い会社人生が始まるのだ。
 帰宅の途中で半年ぶりにビールを1ケース買った。気にって入る「PRIME TIME」である。

5月29日(木)「懸案事項の郵便物を投函・・・の風さん」
 昨夜書いたユニセフカード2通を出社時に投函した。愛媛県和算研究会の会長と会員の先生宛てである。ちょうど1ヶ月前の4月29日に、大阪のなにわの海の時空館で講演をしたが、そのとき来場されていて、久しぶりに声を交わした。懐かしかった。
 その後、お二人から面白かったというありがたいお葉書を頂戴していたが、返事を書いている余裕が全くなかった。夕べは、絶対これだけはやろうと決めて、ユニセフカードを作成したのである。文章は短いものだが、二つ折りのカードにきちんと印刷して、専用の封筒に宛名や差出人名まで印刷するとなると、けっこう手間である。でも、やってしまった。感謝の気持ちが労力を費やすことのためらいを上回ったからである。
 小雨の降る中、ミッシェルを止めて、2通を投函したのだが、爽やかな気分だった。
 大学院で研究助成金を申請するつもりだが、なかなかネタがまとまらない。技術屋なので、データが不足していると書けないのだ。困ってしまったので、会社の同僚の何人かにヘルプのメールを送った。海外調査のためのきっかけを知りたかった。
 帰宅して、昨日に続いて郵便物に取り組んだ。「読売人物データベース」への回答とプレゼントギフトの申し込み葉書である。
 そうこうしているときに電話のベルが鳴った。
 会社の同僚からで、明日、スウェーデンの学者を案内するが、研究分野が私と重なっているらしい。見学の案内をする製作所へ来ないか、という飛びつきたいような誘いだった。しかし、時間帯が明日の午前中と聞いてがっかりした。どうにも都合がつけられないのだ。しかし、実にありがたい連絡で、感謝の気持ちでいっぱいになった。
 今夜も長男はバイトで帰りが遅い。その長男は、バイトでためたお金でパソコンを買おうとしている。私がお下がりで上げたパソコンのスペックが陳腐化してきたからだ。
 「ネットにつないでもいいか」
 それが長男の心配点の一つだった。
 「アクセスの制限をかけてもいいなら許可する」
 長男が頷いたので、パソコン購入を認めた。
 さらに私は、先輩としてアドバイスした。
 「パソコンは3年もすると陳腐化するが、その3年以内に壊れる恐れが高い。絶対に3年以上の長期保証で購入すること」
 それも条件として、長男は受け入れた(そんならサポートしてやってもいいな)。
 私は購入するパソコンのスペックや買い方についてもあれこれとアドバイスしていた。
 長男は友人のアドバイス(新古バージョンをネットで購入)も聞いていて、私のアドバイスとどちらの意見を採用して購入するか、迷っているようだった。もし私のアドバイスに全面的に乗るなら、私のよく利用するショップで、私のカードを使って買うことになる。
 「パソコンまだ買ってないみたいね」
 ワイフがぽつりと言った。
 はたしてパソコンを買うのに、私と一緒に行くか、それとも友人のアドバイスに従って、アクロバット的な安い買い方をするだろうか。
 「僕の言う通りにするんじゃない?」
 「まさか」
 ワイフと意見が分かれた。

5月30日(金)「勝ったー・・・の風さん」
 出社して午前中はつらい会議が続いた。セキュリティがらみの問題の政治決着と、労務管理問題の強行突破だった。ビジネスは世の中の縮図である。基本的にはルールを守り、筋の通った進め方をするが、いつまでもそれにこだわっていると会社の存続そのものが危うくなる。沈み行くタイタニック号では、牧師は祈りを止めて、一人でも多くの人の命を救うために肉体を動かさなければならない(ジーン・ハックマンはカッコよかったなあ)。
 それで、昼までにヘトヘトになっていた。
 昼食に山菜なめこうどんを食べた。だいたい昼は麺類一つで済ますようにしている。
 昼食後、昼休みを利用して530(ゴミゼロ)運動があり、製作所の構内を散歩がてらごみ拾いをした。そもそもゴミなんてほとんど落ちていないのだ。前線が近づいているせいか、空は晴れているが風が強い。木陰に侵入したら毛虫がうじゃうじゃうごめいていたので、慌ててそこから離れた。
 午後も会議が続いたが、比較的平穏に過ぎた。嵐の前の静けさだろう。
 社会人入学して研究している内容に関して、海外調査のための情報を求める私のメールに対して、続々と返信が寄せられてきた。どれもこれも貴重な情報だった。こんなに優秀な同僚に囲まれている私は幸運の女神に抱かれているようなものだ。確実に海外調査に反映したい。
 今日はノー残業デーなので、皆をさっさと帰さなければならない。厳しい労務管理とセキュリティ管理の行き着く先は倒産かもしれないのだが。先週に続いて今週も、私を含めて数人が残業となった。
 ようやく仕事を終えてパソコンのスイッチを切って顔を上げたら、顔の左側に黒い物と光る物が見えた。目玉をぐるぐる動かしてみると、閃光のように一瞬よぎるのだ。おかしい。コンタクトが汚れているのだろうか。
 昨夜必死に準備した郵便は、帰りにコンビニで投函した。
 帰宅して
 「明日は、パソコンを買いに行くことになるな」
 と言ったら、ワイフがにこにこしている。
 「あなた、本当?」
 「ぼくと一緒にパソコンを買いに行く、と言うに決まっているだろう」
 「へえー」
 「勝算はある」
 「気になっていたので、聞いてみたの。そしたら、お父さんと一緒に行くって」
 「ほれみろ」
 「昨日、喉まで出かかっていたけど、まさかの後に言わなくてよかった。もしあなたと一緒にパソコンを買いに行くって言ったら、逆立ちしてワンと言ってやるって」
 どうもワイフは物事を見るのに歪んだ眼で見ている気がする。否、私に対する偏見と抵抗である。

5月31日(土)「長男のパソコンにあんしんネットを設定・・・の風さん」
 ひと晩寝たが、顔の左前に黒い物が見えるのは変わらなかった。飛蚊症かもしれない。あるいは眼底出血?
 とっても気になるが、長男と一緒にパソコンを買いに行く約束をしたので、それは果たしたかった。
 別の買い物もあって、ワイフも一緒についてきた。
 長男のお目当てのパソコンをいくつかチェックした。
 「これ、名古屋で2万円安かった」
 ドキリとすることを言われた。
 最新の商品である。こりゃ難しいな、と思ったが、試しに店員に言ってみた。
 「ちょっと待ってください」
 店員はレジの奥へ引っ込んだ。長男が言う名古屋のショップの店頭価格を調べているのだ。
 数分して、店員が戻ってきた。
 「確かに息子さんのおっしゃるとおりでした。でも、当店なら追加費用なしで長期保証にしますが、その店なら定価の5%を上乗せして……」
 結局、1万円安くすると言う。
 差額は私が支払うことにしてやったら、長男はそれを購入することに決めた。何かを実行するのに、迷って時間をかけるのを長男は嫌う性格だ。
 レジで店員はさらに端数もまけてくれた。
 自宅用の電球類もまとめ買いし、昼食を摂って帰宅した。
 それからが、また大変だった。私の提案した条件を飲んでくれたので、その処理をしなければならない。
 長男のパソコンのセットアップをした後、バンドルされているセキュリティソフト(お試し版)を削除し、Yahooあんしんネットをダウンロードした。私が保護者で長男を高校生の子供に設定した。その後、長男の負担がないように、永久に利用できるセキュリティソフトを購入して、インストールしてやった。
 同じ設定をサンルームの家族共用パソコンにも施した。
 ここまで終えるのに、夕食直前までかかってしまった。
 また、大きな懸案事項の一つが解消したが、そのために1日を使ってしまった。
 
08年6月はここ

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